天引 熊野堂の摩崖仏 笠塔婆
平成13年出版の「郷土氏姓録」(日本姓氏出版)は、分厚い立派な装丁の本である。同本には□□家は次のように掲載されている。
[家暦] 当邑草創小柏一門の旧家で家紋は「丸に三つ柏」を用いられる。遠祖を辿り現存する位牌を精査するのに、享保八年八月三日歿(1723年)――頓證了覚大徳が判明、累代に亙り護持されている。
菩提寺は当地の向陽寺である。*小柏姓出自~~別項参照。――小柏家の中興系譜――勘右衛門氏(世襲)勘右衛門氏は天保二年64歳歿。――
以下は略すが現在に至るまで連綿とその系譜と略歴が記されている。冒頭には家紋の写真が掲示されている。先代の当主は戒名に俗名の1字が用いられている。
熊野堂の摩崖仏
この地域が、江戸時代に発展したであろう事を喚起させる物に摩崖仏がある。この江戸初期の製作と推定されている摩崖仏は、小柏集落のある「久保」の少し先の熊野堂にある。
天引川の最上流部にあたる。甘楽町指定の重要文化財である。文化財係によると、凝灰岩に薬師如来一体が彫られていて、舟形光背を持っている。眉間の百毫から発する頭光と身体から発する身光がある。
この二つを合わせたものを挙身光といい、この挙身光を光背に表現したものが舟形光背であるとしている。銘はなく像は高さ55cm、幅44cmで浮き彫りしてある。
この摩崖仏を囲んで堂宇があり、摩崖仏を本尊として春と秋に祭礼が行なわれていたとしている。
また熊野社があったが、明治41年に諏訪社に合祀されたという。地元では「おくまさま」(熊野様)と呼ばれている、この信仰は今も引き継がれているようだ。この他、隣村の白倉にも平石摩崖仏がある。
熊野堂の摩崖仏がある所からは、400mほどしか離れていない場所であり、天引川とほぼ平行して流れている白倉川の近くである。
笠塔婆
鮎川の奥に位置する上日野小柏(氏)には800年以上の歴史がある他、近年立てられた碑文には縄文時代からの歴史があると記されている。
街道の通る吉井町や小幡から平坦な道を通って、すぐの所にある天引は更に古い歴史があると思われる。
「群馬県の地名」によれば、中宿に正安四年(1302年)銘の、板碑一基と笠塔婆三基があり、倉内に笠塔婆一基がある。笠をかぶっている物は非常に珍しい。
信州街道から天引川と平行に走る道を入っていくと、天引川が細くなる辺りに県指定の重要文化財となっている笠塔婆三基と板碑一基がある。
板碑の上に、大きい蓋のような笠のような平らな石を載せている事から、笠塔婆と呼ばれている。とある。
甘楽町文化財係によれば、その材質は地元で産出される天引石(砂岩)である。
笠塔婆は群馬県全体でも20基程しかなく、まとまって3基もあるのは珍しいとしている。碑の高さはおよそ1.2mほどである。同係によると蓮の花や阿弥陀如来、観音菩薩の種子が刻まれている。
正安四年(1302)の銘があり、近郷の豪族によって建てられたとしている。
またこの場所から西方に約1.5km離れた白倉川の近くにも笠塔婆一基がある。
同係によれば、全長1.74mで角柱状であり、デザインは先の笠塔婆とほぼ同じであるとしている。主尊の阿弥陀如来が蓮の花をかたどった中に配され、脇侍は向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩である。
右側面には不動明王、左側面には愛染明王の種子が薬研彫りで刻まれている。鎌倉時代の仏教文化を知る上で貴重な物であるとしている。鎌倉時代は仏教文化の花が開いた時代であったので、同時代の信仰を反映させているのだろう。
正安元年(1299)の銘があるのでこちらの方が先述したものより3年程古いものとなる。
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