小柏徳氏の天引移住 Ⅲ
位牌と過去帳から、年齢などの整合性を勘案して作った系図の概要を示したのが下記である。 78才? 頓證了覚大徳 1723ー1645生? 83? 前山覺庭 1749―1666? 91? 長山清閑 1778―1687? 66? 権大僧都月潤浄心 1791―1725? 57?権大僧都喜山秀悦 1804-1747? (勇蔵養父) 以下 略 先に「頓證了覚大徳」の没年齢を、ごく大雑把に60歳くらいと仮定して論じてきたが、系譜前後の繋がりなどを詳細にかつ慎重に検討して、系図上では78歳と推定しここに訂正する。 20歳で次代の嫡子を輩出しているところや、91歳の長寿年齢などが現れ少し奇異に感じられる部分がある様にも見えるが、何人か養子が含まれていると推察されるので、その部分は年代が縮小しその他の部分が広がるので、さほどの無理は生じないかと考察する。 現に私の祖父とその祖父は養子である。祖父と曽祖父との年齢差は僅か14歳である。直系ばかりで数百年も家系を繋げるのは無理というものである。徳川家を例にとって見ればよく分る。 □□家は同じ家との間で婚姻を繰り返し、嫁を出したり嫁を貰ったり養子を貰ったりしている。これは家と田畑を守り繋ぐ為に何所の家でも行なわれていた事だろう。 同家には曽祖父を含まずその前代までの老若男女の名前が30人も伝えられている。高祖父(祖父の祖父)は養子であったが、妻に先立たれた為に後妻を迎えて更に3人の子をなした。 そして血の繫がる子に家督を返す為か、自分は分家して居を近くに移している。その土地は久保の外れにあるが、平坦な角地で元は畑であったのか広い土地である。 残してきた本家は自分の二男に継がせて、他の家族は連れて行ったようだ。分家した土地は後に三男が家督相続し、長男は高祖父の養父(本人から見れば祖父)の家督を相続している。 これにより高祖父の子供のうち、男・三兄弟の三家が出来た事になるが、その子細は子孫でも良く分らない複雑なものになっている。 近世にあってもこんな状況であり、先の30人を完璧に縦横の系図に組み込むのは至難の仕儀となってくる。過去帳も、住職が変った時や虫食い・水濡れなどによって書き換えられ、近世だけでも明らかに間違いと思われる物も存在するのである。 先に□□家の始祖は、徳氏の子供かも知れないと仮定して論を進めてきたが、もしこの系図が本筋において、間違いがないとすれば同家の判明している、一番古い位牌の「頓證了覚大徳」は小柏徳氏本人の物という可能性が出てきた事になる。 先に推定した徳氏の出生年次は1642年であり、「頓證了覚大徳」の推定出生年次が1645年であり、その差は僅か3年しか認められないからである。 あくまでも可能性の一つであるが、徳氏が上日野から移住して来て久保一帯を開拓したのであれば、「大徳」の称号は真にふさわしいものに見えてくる。 徳氏の兄弟は13人もいて、その妹と見られる「竹野」は妹ヶ谷を開拓しその名を今に残している。 小柏氏の二男・三男・四男はその殆どが養子に出ている。その養家は掘口・友松・山田・飯塚・須藤・松下・市川家である。中には出家した人もいる。養子になった記録がない二男・三男は徳氏・吉次の他には見当たらない。 □□家は、小柏一族が11軒ほど密集している一角のほぼ中心になる位置に居住している。この辺を中心として隣地に、分家が建てられて広がっていったと見る事が出来る。(或いは隣接する旧家からかその両方からか) 現状を見ると、中心地にある二つの旧家からそれぞれ西と東に広がったとの推測が成り立つ。 現に西隣の小柏家は近世に□□家から分家した家であり、□□家の墓地の先、畑を挟んだ数十m先は同家の高祖父が分家した広い角地であり、久保の集落の西端になっている。 もしも心証を披瀝する事が許されるならば、この両家の始祖は徳氏と吉次になる可能性を秘めている。 「甘楽町史」を紐解くと、「鉄砲とピストル所持者(明治十八年 白倉村連合戸長役場調)」という項目があり、天引の欄に私の曽祖父・嘉市とその兄の定吉の名前が見える。他に小柏姓の二名の名前が記載され、天引村全部で30人の名前が記載されている。 天引という「字名」は広い地域に亘っていて、明治10年頃は家数が208軒あり、人口は1,012人であった。(「群馬県の地名」郡村史)その中に小字名・久保がある。小柏姓の家はこの久保の中の狭いエリアに密集していて、その中には他の姓の家は全くないのである。 天引川に沿って、長方形に展開している小柏姓の集落の右隅に一軒だけ別姓の家があるが、小柏姓の家と隣接していていずれ縁戚に繫がる家と推測できる。 昔は洗濯もしたという小さい小川、天引川を挟んだ対岸にも小柏姓の家が一軒ある。 この他、少し離れた所に天引の小柏姓のうちでも古いほうと見られている。小柏家が一軒あり向陽寺の近くに小柏姓の家が2軒ほどあるが、周囲に畑があり畑の近くに分家して出て行ったのではないかと思われる。 天引の小柏家はこの他には1~2軒あるだけである。久保(小柏)集落の前を流れる天引川を挟んで,向かい側に位置しているのが、向陽寺である。
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