2007年3月16日 (金)

 おたか夫の男根を切る

 

風梅年代記 2

 寛政元酉

さんご節といふ唄流行る

 同二戌

秋大洪水、所々川荒れ見分を請く 鹿島大ぐえ、酒井与惣左衛門の家くえつぶる

 同三戌

板谷戸、定衛門退転する

 同四子

平仁田の大道を釜の沢へ廻す

 同五丑

小柏に病犬流行、人を多く喰ふ

 同六寅

下鹿島、兼五郎酒店を開く

 同七卯

矢掛にて太郎といふ男、見世物を出す、三十五歳にて二尺一寸の丈

 同八辰

鹿島に人形始まる 一人へ三人がかりにて大芝居あり

 同九巳

細谷戸薬師堂にて真心という僧侶、金春流の古謡を教ふ

 同十午

全阿和尚、養浩院住持となる

 同十一未

小柏房右衛門退転す 小柏奥ノ反吉田氏百姓となる

 同十二申

庚申塚村々に立つ 大厄病流行 村々百万遍の数珠を拵ふ

 享和元酉

全阿信州より願王和尚請待 百日の大結制を行ふ

 同二戌

養浩院に釣鐘を鋳る

 同三亥

養浩院大門に大きなる石地蔵建つ

 文化元子

鹿島斉藤武右衛門、医師をなす、小柏に日野出山谷八と申す角力あり三段目になる

 同二丑

鹿島忠作といふ者、女房を屠す

 同三寅

鹿島大火、人形焚く、奈良山新左衛門千本杉形と狂歌人となる

 同四卯

小柏六郎右衛門隠居、小柏郎吉六郎右衛門と改め名主となる

 同五辰

秋田村(秋畑村か)にて九之助といふ者を殺し奈良山の地獄谷へ捨つ、大騒動となる

 同六巳細谷戸、松田秀右衛門宅碁将棋の会をなす、大人数集まる

 同七午

箕輪小柏伝益、医師となる、塩平に冨屋藤八酒造を始む

同八未

矢掛の寺に木々庵と申す俳諧者住む 岡本熊太郎、箕輪山に大熊をうつ

 同九申

小柏名主退役、岡本熊太郎、助左衛門と改め名主役仰付けらる

 同十酉

風梅生る よしこのといふ唄流行、田本の滝の沢、小柴兵右衛門、大橋流の書を教ふ

 同十一戌

細谷戸、飯塚常五郎天徳清水井の上に酒店を出す

 同十二子

細谷戸、富八酒造を始む、梵悦和尚を以て養浩院住持となす

 同十三子

田本、髪結大騒動、火方役人高村出役有り、地頭役人広瀬小右衛門之を鎮む

 同十四丑

上日野村髪結所を禁止す 日野坊女房おたか夫の男根を切る

                                                  (山伏の家)

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2007年3月13日 (火)

 重基 秩父で金の採掘を試みる

 

重基 秩父で金の採掘を試みる

小柏重方の跡を継いだのは二男の重基である。重基は後に八郎左衛門と改めている。重方の長女は市川帯刀真直に嫁ぎ、法名は春生院松厳妙智大姉である。文政七申年正月卒。二女は早世。長男徳明は法体となり武州今井村長興寺に住いす。重方の三男方義は幼名を泰吉といい二十三歳で没した。法名を一天総梅居士という。

四男治平は前原村の松下氏を継承した。

「風梅年代記」によると重基は天保十三年(1812)に名主になっている。嘉永三年(1850)には、秩父山にて金の採掘を試みて失敗しかなりの散財をしたという。安政三年(1856)に没している。この後の名主には奈良山小柏新左衛門が名主になっている。

 奈良山小柏家の世襲名は新左衛門である。三波川では飯塚家が代々の名主を勤めていたが、上日野地区ではいつの頃からなのかは不明だが、年番制も導入されたようである。

上日野村、下日野村、金井村の三ケ村で代々名主を勤めた役人家(名主家ともいう)は、上日野村は小柏・小柴(細谷戸)下日野村は黒沢(駒留)・柴崎(印地)、金井村の高山の五氏である。

 名主・組頭・年寄の役を交代で勤めていた。他に組頭家という組頭のみを交代で勤めた家があった。これらの家はいずれも旧家で先祖は帰農武士である。(多野藤岡地方誌・各説編)

 黒沢氏は奥州安倍貞任の子孫という。姓を黒沢と改め鎌倉時代には既に上日野に住んでおり、戦国時代には上杉氏に属し、平井落城後は小幡氏に従い黒沢玄蕃允・源三(後出雲守)父子は小幡氏より感状を数通受けた。(同家系図)

 聖天社は同家の屋敷神である。源三は先祖代々の墓地に阿弥陀堂を建てた。(多野藤岡地方誌・各説編)駒留城は同氏の築城とされている。

 日野七騎の一騎、黒沢氏は戦国期には同地の小柏氏とほぼ一緒の軌跡を残している。

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