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2007年10月19日 (金)

甘楽町の「ちちぶ道」と道祖神

 甘楽町は古い歴史を持つ町….。古くは加羅からの移住者も多かったとか….

「和名類聚抄」にも上野国「かむら」として現れる。「延喜式」には「新屋ノ牧」が記されている。

戦国時代から近世にかけては、小幡氏や織田氏・松平氏が跋扈した城下町

 小幡藩の堰・石垣とせせらぎ・桜並木が過ぎし日の….往時を偲ばせる。古城も数多く残されている他に古墳もある。

天引の「堂の入川」の左岸の畑の中にある黒渕古墳がそれである。盛土は風雨のためか、盗掘のためか既に失われていて、石室が露出している。

 石室の全長は4.95m、玄室は長さ2.1m高さ1.75mであり、羨道は長さ2.85m高さ1m幅0.8mである。

 古墳群の一基で7世紀後半の円墳と推定されている。

 妙義町は富岡市となったが、独自の道を貫いた甘楽町…..

 ちちぶ道の道祖神様

Photo

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      熊野堂

Jpg

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 山上の秘境の湖のような趣を漂わせる池….人知れず青い水を湛えている。

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 黒渕古墳

   古墳のお部屋H・Pより

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