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2007年2月10日 (土)

お菊様の命日

 

お菊様の命日

   菊女の墓 

Photo16

国峰城の菊ヶ池伝説には幾つかの説があり、疑問も多いが、この墓は妙義町にある。
石塔は右より菊の両親の墓、菊の墓、側塔、五輪塔となっている。
この墓は菊ヶ池伝説にて紹介しているとおり、小幡氏の末裔である松代藩士小幡長右衛門龍蟄(りゅうちつ)が安政5年に調査し、妙義村の名主藤井忠右衛門に依頼して整備されたものであるが、写真の石塔等は伝説当時のものと考えられている。
 しかし、伝説が小幡信貞時代であれば戦国時代の話となり、五輪塔には戦国以前の様式が認められるため、この墓がはたして伝説の主の墓なのか疑問も投じられているが。
なお、当時の城主は小幡信貞だったとする説が定説となっているが、妙義町では信真と紹介している。
 ちなみに国峰城の菊ヶ池伝説は登場人物も歴史上存在したことが確認できる者が幾人かおり、この墓がいっそう真実性を高めているが、同じ伝説が群馬県内に安中市と前橋市にも存在している。
 八重ヶ渕伝説とお虎ヶ渕伝説である。
しかし、両伝説とも時代や登場人物がはっきりせず、したがって確認も取れない。
安中市では祟りが実際におこったと騒がれた過去が数回あり、お八重の碑を建立して祀っているが、前橋市のお虎ヶ渕は利根川の流域が当時と変わっていることから場所もはっきりせず、碑も建っていない。
 私の考えで恐縮だが、たぶん藤岡市に管領府があった頃、または山内上杉氏滅亡直後の甘楽から安中・高崎を経て前橋まで上杉氏勢力がまだ強かった時の事件であり、各地域での連帯感が残っていたために、甘楽国峰での事件が民衆の間で広範囲にまで知られることとなった。

その悲しい物語のヒロインに多くの共感者が出、人々の記憶に残り、その結果各地で語り継がれ、伝説となって残ることになったのではあるまいか。

    写真と文、国峰城(小幡城)HPより

お菊の命日には幾つかの説がある。宝積寺46世住職の西有穆堂の「因果の水鏡菊が池」では天正14年9月19日とする。小幡龍蟄は、信真が小田原出陣の留守に起こった出来事と考えたため、天正17年と推定している。(龍蟄は当初、天正15年以前と考えたが後に訂正した)

 「上野人物志」では、新井家が連綿として伝えてきて、三百五十年忌の法要を催した事から、逆算して天正1年の出来事としている。天正1年のことであれば、お菊を救出した侍は小柏源六定重であり、小柏系譜の記載と一致する。

 また天正14年、或いは天正17年の事であったのなら、救出した侍は、兄の後を継いだ定重の弟、左馬助定政、後源重郎となる。定重は天正3年の長篠の戦いで、小幡大膳介と共に討死しているからである。

 小幡龍蟄の著した「上毛菊婦傳」の末尾に、小柏高政とその二男定政の記述がある。龍蟄の研究の一助にと宝積寺が、同氏の元へ送ってきた資料の中にそれがあった。小柏氏の牌名(位牌)の中から抜書きをした物という。

 覚性浄林居士 小柏左馬介高政

 光岩智明大姉 同人妻 小幡尾張守重貞姪女

 昌室浄久居士 小柏左馬介定政 初号 源助

 寛永十二乙亥正月四日

 右者小柏八郎左衛門 牌名之内

と記された資料である。小柏系譜には定政が源助と名乗った記録はなく、後に源重郎と改めたとある。左馬助を名乗る前の幼名が源助であったという事はあり得る。

向陽寺の話では、位牌や過去帳は住職が変わったり、読み難くなったりすると、書き換える事があるという。

この際、一部の文字が変わったりする事も否定はできない。何ゆえに定重の名前がないのかは不明のままである。この資料により龍蟄は、次のように考察する。かくの如くなり、菊の一件は天正年間の事と、口碑にも伝えられていて、かれこれ考えると、山で猟をしていた小柏源助というのは、この定政なるべし。と書いている。

この後には、松代清野村龍泉寺に安置してある鎮守は菊を祭る所なり、(我)曽祖父義正君の代の書面に、年来安置の鎮守とあるのでその以前、更に古くから祭っていると見える。と記述している。

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コメント

マスノ様 コメント有難うございます。
このページの写真は著作権者に確認をお願い致します。
宝積寺の写真の方はOKです。
 よろしくお願い致します。

投稿: ten.ten | 2008年7月 5日 (土) 11時19分

はじめまして。
マスノと言います。
今、某局にてテレビ番組を作っていまして、
もしよろしかったら群馬の「菊女の墓」の
お写真を使わせていただけないかと思いましてコメントさせて頂きました。
宜しかったらお返事頂けると幸いです。
詳細お伝えしたく思います。

投稿: ますの | 2008年7月 4日 (金) 22時50分

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