« 菅原神社・妙義神社の鰐口 | トップページ | 竹花城と小柏城 »

2007年1月18日 (木)

 生島足島神社の起請文

 

 生島足島神社の起請文

「甘楽町史」に小幡弾正信高が、武田氏宛てに出した、従属を誓約する起請文が記載されている。

敬白起請文  

1、為始長尾輝虎自御敵方以如何様之所得申旨候共、不可致同意事。

1、甲信西上野三ヶ国諸卒雖企逆心於某者無二奉守信実御前可抽忠節之事。

1、甲州之御前悪儀不可批判事。

上ニ者奉始梵天帝釈四大天皇下ニ者堅窂(ママ)地神殊ニ者八幡大菩薩、摩利支天諏方上下大明神、天満大自在天神、甲州一二三大明神、忽而日本六十余州之小神祗各可蒙御罰候。此旨可預御披露候。仍如件。

永禄十年丁夘

八月七日  弾正左衛門慰信高(花押血判)

左馬介 高政 (花押血判)

自徳斎 道佐 (花押血判)

能登守 行実 (花押血判)

熊井土対馬守 重満 (花押血判)

金子与三郎 (殿)

 永禄十年(1567)小幡信実の親類で、家臣となっている者が、信州の生島足島神社に捧げ、信実に忠節を誓う事により、武田信玄への服従を誓った起請文。戦国の時代にあっては、このような文書が数多く作られた。あらゆる神を引き合いに出して、やや大げさに誓約しているように見える。

同史は信高は弾正忠信氏(信実の弟)と推定している。信氏はこの起請文を奉納した二年後の、永禄十二年(1569)に駿河蒲(神)原で討死している。高政については関東幕注文にある、小幡次郎がこの人か。としているが、これは左馬介(助)という名前から言っても時代からいっても明らかに小柏高政である。

道佐は鰐口に記載のある白倉道佐であろう。記載順も信真と信高が違うだけで、鰐口と同じ並び順である。熊井戸()氏はこの時、小幡氏の家老クラスの重職にあったと思われ、縁戚関係もあった筈であるが、何故か親類衆の後方の順位になっている。ずっと後代になってからは、小柏氏の子孫が熊井戸氏に従って大阪夏の陣に加わっている。

同じ永禄十年に、小幡信実の家臣団中別格の三氏(松本、友松など)が、やはり生島足島神社に捧げて、信実への忠誠を誓った起請文があるが、宛名が熊井土対馬守殿御中となっている。

これも熊井土氏が重職にあった裏づけとなる。「甘楽町史」では、生島足島神社に奉納された起請文中の、小幡氏の一族・家臣団を合計すると、二十四名にのぼり同様文書中に、これ程の大集団を擁する者は他に見られない。

これをもっても小幡五百騎が、武田軍団の中心兵力であったと肯定できよう。と結んでいる。小幡氏と武田氏との間で、交わされた多くの文書は旧家などに今も残されている。

「群馬県の地名」の国峰城の項を見ると、巨大な山城であった城が詳しく紹介された後、小幡一族を紹介している。小幡氏の当主信実(真)は小幡一族の信高・高政・道佐・行実や有力家臣の熊井戸重満、鏑川筋とその縁辺高瀬・上条・武河・南蛇井・伴野・尾崎・湯浅・山口の各氏。

南牧衆の小沢・市河・懸河・高橋らの諸士を家風・同心として従属させ、彼らも信実への忠節を媒介に武田信玄の領国支配に服している。とあり、小幡氏に属し協力或いは行動を共にした周辺の武士団の名前が良くわかる。

小幡一族の中の高政とあるのは小柏高政である。

高政は小柏館のすぐ下に、養命寺(曹洞宗)を建立・開基している。同寺は宝積寺の末寺の一つとなった。同寺は小柏山と号し、本尊は十一面観世音菩薩である。天正年間(1580頃)に小柏氏の開基で、甘楽郡小幡町の宝積寺を本寺として、その十世魯嶽林誉禅師が開山。小柏氏とその家臣の菩提寺とした。

その後荒廃したが、天保の頃(1680頃)宝積寺二十一世祥山寂瑞禅師を中興開山として再興した。宝物は涅槃像 一軸 十六善神画像 一軸 二十五菩薩画像 一軸 大般若経 六百巻

茶釜(銅) 壱個 梵鐘(元禄十五年) 一口 (多野藤岡地方誌・各説編)

「宝積寺史」によれば、小柏山養命寺、藤岡市上日野464、創建天正年間(1573~92)、本尊十一面観世音、開山魯岳林誉、開基小柏高政となっている。

そして沿革として、天正年間に竹花城主、小柏高政が開基し、宝積寺十世魯岳林誉を請いて開山とする。小柏氏の祖は小松内大臣重盛の子維基で、小松を小柏と改めた。鎌倉幕府滅亡後は、山中郷を領し、平井城主上杉氏に出仕していた。当寺は小柏氏とその家臣の菩提寺である。

 天和年間(1681~84)に宝積寺21世祥山寂端が、中興開山として再興する。との記事である。

|

« 菅原神社・妙義神社の鰐口 | トップページ | 竹花城と小柏城 »

コメント

ふーちゃんカキコ&情報アリガトーです。二本木峠は、宝積寺合戦の時に小幡氏の妻子を小柏舘に落ち延びさせたルートとされていますね。小柏からの救援部隊もここを通り、宝積寺が焼けているのが見えたとか...「群馬の峠」に二本木峠は小柏から白倉・轟を結ぶとあります。
 「小柏峠と天狗山」には小柏峠は轟と上日野を結ぶとあり、白倉神社奥宮(旧社)の先が小柏峠となっています。これ等の事から二本木峠は小柏峠と考えています。
 しかし小柏峠の近くに無名峠があり、こちらが二本木峠の可能性も....でも近くに水越峠があり、これも小柏と白倉を結び、更に中峠も轟から入り白倉神社の西方にあるという。んで、小柏の板碑の向かい側、小柏舘跡地の左端に北の山に登る道があります。
 幅は50cmほどの獣道みたいなヤツですが充分歩けます。上までは行ってませんが小柏峠に行くと思います。
 この道は「天狗山」に掲載されている地形図を見ると、途中で上平から登ってきた道と合流し小柏峠に至るようです。
 小柏峠には一体の石仏があるとの事です。
う~ん。頭冷やして慎重に再考が必要か。ふにゃっ。

投稿:  貂 ゝ | 2007年1月19日 (金) 11時00分

@^^@)/コンバンワ

今日、養命寺の下を通って上平まで行ってきました。氷瀑と二本木峠の確認が目的でした。で、近所の爺と氷瀑の写真を撮りにきた商工会の人と少し話ができました。予想通り上平から小さな沢沿いに甘楽町(おそらく宝積寺のある轟)へぬける峠を二本木(にほうぎ)峠と云うとのことでした。ざっと見た感じだと上平から峠まで2時間ぐらいかなちゅう感じでしたよ。熊の心配はないようなんで近日中に歩いてくるつもりです。もっともイノシシはいるちゅうとりました。(^-^)

帰りは養命寺の上を通る道にぬけ、小柏氏の由緒が掲示されている場所で一休み。目の前の東御荷鉾山はだいぶ白くなってました。昨日は雪だったようです。(o・・o)/~~~~ マタネェ

投稿: ふーちゃん | 2007年1月18日 (木) 18時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/191408/4977256

この記事へのトラックバック一覧です:  生島足島神社の起請文:

« 菅原神社・妙義神社の鰐口 | トップページ | 竹花城と小柏城 »