御荷鉾山 北斜面 鼠喰城 探検始末記
天気は悪くなさそう..意を決して御荷鉾山の鼠喰城の探検に行く事にした。御荷鉾山の北斜面は懐が深そうで威圧感がある。麓を覆う針葉樹林は奥が深く暗く何故か怖さを感じる。でもどんな城なのか一度は見ないと..懸案事項となっていた事であり落葉して見通しのきく冬場に、とは前から思っていた。
御荷鉾山は関東の秀峰ではあるが、何故か情報が殆どない。登山ブームでも人気がないのか、登山地図・ガイドブックが発行されていない。ハイキングコースを紹介する書籍もない。何故だか分らない。東京から日帰りとか一泊での低山コースとしての紹介・ガイドがあってもよさそうなものである。
仕方なく、国土地理院の二万五千分の一地形図2枚、昭文社の三万分の一・六万分の一の地図に、縮尺不明の藤岡地域城舘跡図から鼠喰城の位置と思しき地点に印をつける。鼠喰城の情報も乏しく標高は分っているが、詳しい位置は分っていない。平面図はあるが位置情報は城館図だけ、この地図も五万分の一くらいの大まかなものだ。
この3枚の地図でルートと時間を検討する。
南の万場側から登れば西御荷鉾山の頂上まで40分くらいと聞くが、頂上から北斜面に降りるルートがない。(不明)また車のデポ場所・取りに戻れない事からどうしても北斜面からの登山になる。
登山道・林道らしきルートは2本ある。奥ノ反を通る左ルートは西御荷鉾山の八合目くらいまで伸びている。右からのルートは鼠喰城があると思われる地点のすぐ西側を通って、オドケ山方向へ伸びてそこで終わっている。
どちらのルートを取るか、好ましいのは右ルートを行き、鼠喰城に最も近ずいたと思われる地点から、東側の斜面をよじ登って城を探す事だ。このルートが使えない場合は、左ルートを行き、八合目辺りから西へ等高線に沿って藪漕ぎをしながら城を探す、少し距離があるので戻りルートの目印として木に結ぶ白テープを持参する。
あとは現地情報によって臨機応変に..。
標高が1286mもあり冬でもあり、始めての山なので装備はやや大げさな物になった。ザック・帽子・地図3枚・防寒兼藪漕ぎ用の手袋・食料・水・磁石・白テープ・鋏・ライト・ボールペンと紙・狼煙?用ライター・カメラ。ホイッスルも欲しかったが処分してしまったらしく見つからない。
11:40奥ノ反到着 この砂利道を愛車 白馬の「ふんだら君」号を駈って克服する所から、御荷鉾山の登山は始まる。車の腹をするので出来るだけ片側へ寄せてそろりそろり、じゃりんじゃりんと進む。車で抜けられる事は現地エージェント?により確認済みじゃ。
鳥居の前に着き車をデポ。不動明王の鳥居に合唱し写真を撮って靴を履き替え出発。左側のゴルフ場でクラブを振るよか衆?を尻目に物好きなオッサンは一人静かに山中に入って行く。
右にも行く道があり、そちらは石切り場でダンプが通るが、鉄のゲートがあり閉まっている筈だから行かないようにとも言われた。
人がいける道はそこしかないと言う貴重な現地情報により、安心して左ルートを取る。しかし….
暫く行くとこんな杉林になる。40分も行くと汗ばんできた。
汗はかきたくない ザックを降ろしジャケットを脱ぐ。
現地情報では相当、道が悪い感触を得ていたが…名だたる高峰を踏破してきたこの足じゃ、軍門に降りたまえ..このくらいならノープロブレム、みたいな事をつぶやきながら行くと、道は次第に細く葦のような枯れ草か、藪がひどくなってきた。
ここれはもう早くも「藪漕ぎ」に近い状態に…気に入りのズボンを履いてきた事を悔やむがもう遅いだっぺ。汗が噴出してきている。セーターも脱いだ。
こんな道が続くのかい、う~ん。 遥か下方に里が見えた。
立ちふさがる藪、ルートもはっきりしないので何度かそれてしまう。更に登って行くと、倒木や涸沢などでルートが寸断されている所がそれぞれ2箇所くらいあった。
引き返したほうが良いかもと何度か思ったが、思い直しつつ進み、12:40分頃左側に小さな清水が沁みだし氷になっている所で昼食。
北斜面の日暮れは早い、遅くても3:00には下山を開始しないと…城は見えないし気がせくので、糖分補給の甘い菓子パンと、いなり寿司3個を食べただけで出発。休んでいると寒くなる。
帰りにルートを外さないように、目印に小枝を折りながら登る。
少し元気になり気合を入れて、ぱっぱっと登って行くと息切れがしてきて、心臓がばくばくいってきた。少し異常なカンジ。ここれは不味い。息を整えねば。やっぱり登山は一定のリズムで、うまずたゆまず行かねばの~。
直径30センチもある太い倒木が関所のように、ルートらしき上に立ちふさがっている所を過ぎると今度は涸沢。幅3m~4mほど、深さ2mほどもある。ルートもはっきりしない。うえ~ん。神様~
以前地元の人に「行かないほうがいいよ..」と言われた事を思い出す。
上の涸沢をトラバースって程でもないけど渡って行くとルートらしき物が見当たらない。とにかく上の方向だろう。長年のカンで登って行くと大岩にぶつかり完全にルートは無くなっている。
立ちふさがる大岩はオーバーハングになっていてとても登れない。岩の下を右方向にルート・登れそうな所を探すが、急斜面の雑木林になっていて小さな尾根を形成しているがこちらも登れない。
岩の左側は沢がまっすぐ稜線方向に伸びている、上のほうには少し水が流れ、凍っている。幅は2.5m程でやや大きな石がごろごろしている沢の直登を試みる。足をおいた石がずるずると落ちていってしまう、どの石も同じだ。キケン。
沢を渡り左から巻いていくルートを開拓?ウン?やっぱりこちらも急斜面で鹿でなければ無理。稜線はもうすぐ其処にあるように思える。どうしょっ。しばし迷ったがここで大英断、撤退。
とに角少し降ってルートを再確認。ルートをはずしたと思われる地点まで降ったがやっぱり他に行くルートは見つからない。やむなく今日は下山。14:10分。
小一時間も降った頃か左側になにやら人工的な岩のような物を発見。左側は稜線になっている模様。現地情報では鼠喰城は絶壁と聞いている。上のほうを窺い見上げると木立の中になにやら土塁のような物が見える。
鼠喰城か?稜線城に切り立った岩のような石垣のような物が垣間見える。鼠喰城の位置としてはこの方向である。出来るだけ近くまで行って写真を何枚か撮ったが、最初の一枚がやや見える程度で後の物は真っ黒になってしまう。
これは近くに行って見ねば...
この土塁らしき物は何番目かの鼠喰城の土塁であろうと思われた。(平面図を見ると四段の構成になっているように見える)この土塁の真下は文字通り切り立っている、左側面も同様でとても登れない。
左側面の下、手前にはコンクリートの雨の流水路がある。この水路に沿って登り帰すと水路は上流に向ってY字路になっている。このYの字の左上に斜めに延びている部分を渡り、更に右上に伸びている水路を渡り登り始めた。
この急斜面を木に掴まりながら登る。稜線まで行けば上方向から土塁へ降りていく形となる。半分ほど登った所で挫けそうになった。更に少し登った。心臓がばくばく言いだした。暫く休んでも治まらない。
この頃どうも脳圧・脳流?が少しへたってきたような….でもあと少し15m程も登れば土塁の様子が分る。行くべきかやめるべきかここで悩みに悩んだ。登れたとしてもこの急斜面を降るのにもかなりのエネルギーが必要と思える。
時間もぎりぎり、15:00。この頃の低山での遭難事故の二ユースが脳裏に浮かぶ。迷惑をかけても….ここで大英断Ⅱ。撤退。撤退にも勇気がいるのですなんてね。いつの日か..捲土重来を期して...
15:30分 不動明王の鳥居前に到着。
まだ明るい、不動明王様にお参りして帰ろう。参道を登り始めるがいきなり急勾配の連続。稜線上であり、ナイフリッジ状になっている。右側は谷川、左も急斜面になっている。幅はおよそm~2.5mほど、これはお年寄りは無理と心得られよ。
かなり登るとルート上にかなり大きな火打石(70センチ程)が露出していた。三分の二程も地面に埋もれている様子。
さらにさらに登ったが社・祠らしき物は影も形もない。もう少し、もう少しあの角までと登ってみたが、状況は好転しない。心臓もバクバク…ここで今日の大英断Ⅲを下した。撤退。今日は情けね~?撤退王の汚名を着たものだったな。
このシカならちゃっちゃっと行けるのだろな。(フンッ)
お世話になった現地代理店?の方に下山報告。すると何たる事や!不動明王さまが鼠喰城なんだってサ。城に不動明王さまの社があり、西御荷鉾山の頂上にも不動明王さまが鎮座しているとの事。だば最初からルートを間違えてたって事だなや。(笑うとこはココ)ふんぎゃあ~。
鳥居の下に「不動明王参道」の看板があったので、200~300m登れば不動明王の社があるとは思ったが、鼠喰城の登り口とは頭から考えなかった。
(鳥居・石碑の写真は小柏高政の項に掲載してあります。)
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コメント
西御荷鉾山 地主の1人 さま
コメントを有難うございます。
採石場の所からも行けるのですね。
僅か30分ですか。
投稿: 貂ゝ | 2008年5月 8日 (木) 11時43分
偶然にこのページを拝見しました、私は見たことは有りませんが、機会がありましたら、登って観てください。昨年の集中豪雨で道路は壊滅的破壊の被害を受けましたが、歩いてなら問題ありません、採石場入り口のゲートをくぐり採石場跡地からすぐです、ゲートから30分ぐらいです、何故か情報が殆どない。
との事ですが、北斜面、藤岡市側は私有地であり一版の方の出入りが出来ない為です。
投稿: 西御荷鉾山 地主の1人 | 2008年5月 3日 (土) 13時26分
コメント有難うございます。西上州の探検も面白そうですね。何か土地の話やエピソード・庶民の昔話などが出ましたら、是非お聞かせ下さい。
先ほど写真集、拝見しました。養命寺の写真はアングルも良く綺麗ですね。「草の乱」はうっかり見逃がしてしまいました。クシュン。常次郎は北海道から樺太まで渡った緯丈夫ですね。行動力があり、人を惹き付けるものを持っていたようですね。
御荷鉾山の探検記、本文を一部修正し写真を正規の位置に配置しなおしました。よろしければ御覧下さい。またのご来店をお待ちします。バイバイ。
投稿: 貂 ゝ | 2007年1月14日 (日) 12時19分
里の風 いつも楽しく見ております。
時々 西上州を探索しております。小柏氏の関連では草の乱で見た小柏常次郎が感動しました。
投稿: れきし探検 | 2007年1月13日 (土) 19時01分