2007年11月25日 (日)

「小柏氏800年の軌跡」 目次

           目 次

 平家の凋落

  平氏の末裔                5

  清盛の孫・娘たち             6

   平家最後の戦い              9

   平家落人伝説              11

安徳天皇は生きていた          12

維盛の「青海波」            14

惟盛伝説                 17

御前岩の六代丸             21

小柏氏800年の軌跡

第一章 高政 鼠喰城で千人斬り        23

小柏氏の始祖            23

維基 鹿島神社建立         28

鎌倉北条氏と小柏氏         29

上杉氏と小柏氏 鼠喰城         29

関東管領・平井城の落日      34

豪族 高山氏            39

豪傑 小柏高政 血糊の宮        42 

    織田家と宝積寺の確執         49

菅原神社・妙義神社の鰐口       51

   生島足島神社の起請文と養命寺        56

竹花城と小柏城               58

第二章 豪族 小幡氏              61

     小幡氏の領地               61

国峰城落城 落武者信秀           62

秀吉攻め 小田原籠城           65

     宝積寺合戦                67

     幡氏旧領弁録について           71

     小幡図書助の実像             76

定重長篠の合戦に出陣          80

   定政小幡孫一を救う           82

第三章 お菊伝説              85

 宝積寺のお菊伝説              85

因果の水鏡菊が池             87

   二本木峠と小柏峠             94

    上毛菊婦伝              96

上野国甘楽郡中里村菊女事      100

    市川氏 春山大明神の記      103

第四章 江戸時代の小柏氏          106

大阪冬の陣に出陣           106

小柏家の権勢 名刀むかで丸      106 107

    重高 黒滝山不動寺の開基となる   108

潮音 重高に誌偈を贈る       111

   先代旧事本紀大成経         113

    徳氏と吉次兄弟の足跡        117

三波川妹ヶ谷の開拓者 竹野(小柏)  119

    妹ヶ谷の地名由来         119

「村上」とは何処か         120

竹野の妹ヶ谷入植期        126

妹ヶ谷城と小柏氏          130

三波川の柔術指南と血判状     134

  南牧衆市川氏            137

焙烙峠の伝説 御荷鉾山の山元    140

  當重 養命寺の中興開基となる    141

  小暮市右衛門 「大神」となる    142

切支丹宗門改め           143

御荷鉾山(みかぼやま)騒動        145

重基 秩父山で金を掘る        147

 第五章 風梅年代記           149

    好文堂風梅と芭蕉塚        157

上日野の獅子舞          159

 第六章 小柏舘最後の当主 八郎治重明  161

御鉾神社の建立と祭祀        162

    明治政府 地租大増税        164

小柏常次郎と秩父事件        166

    武士の商法敗れる          167

小柏家 落魄の風          170

    小柏氏正系図 作成者        174

 第七章 小柏氏の末裔           175

日野地区・三波川の小柏氏      175 177

甘楽天引の小柏氏         179

     小柏徳氏の天引移住       183

     熊野堂の磨崖仏         190

天引の笠塔婆          191

     天引黒渕古墳群の塚       192

     亀穴峠・鳥屋峠は昔の街道    194

中山道坂本宿の小柏         197

 第八章 小柏舘の発掘調査        198

二回目の文化財発掘調査      200

   あとがき              204

    補 稿

小柏氏の墓所について       206

     墓碑の分析             207

天引の小柏氏の墓所・墓碑      208

     時代の変遷による墓碑の形状     210

小柴氏と川邊氏          212

   平氏伝承 小柏氏と武士団     214

   小柏氏 年表             216

参考文献               223

   小柏氏家系図             225

 

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           目 次

 平家の凋落

  平氏の末裔                5

  清盛の孫・娘たち             6

   平家最後の戦い              9

   平家落人伝説              11

安徳天皇は生きていた          12

維盛の「青海波」            14

惟盛伝説                 17

御前岩の六代丸             21

小柏氏800年の軌跡

第一章 高政 鼠喰城で千人斬り        23

小柏氏の始祖            23

維基 鹿島神社建立         28

鎌倉北条氏と小柏氏         29

上杉氏と小柏氏 鼠喰城         29

関東管領・平井城の落日      34

豪族 高山氏            39

豪傑 小柏高政 血糊の宮        42 

    織田家と宝積寺の確執         49

菅原神社・妙義神社の鰐口       51

   生島足島神社の起請文と養命寺        56

竹花城と小柏城               58

第二章 豪族 小幡氏              61

     小幡氏の領地               61

国峰城落城 落武者信秀           62

秀吉攻め 小田原籠城           65

     宝積寺合戦                67

     幡氏旧領弁録について           71

     小幡図書助の実像             76

定重長篠の合戦に出陣          80

   定政小幡孫一を救う           82

第三章 お菊伝説              85

 宝積寺のお菊伝説              85

因果の水鏡菊が池             87

   二本木峠と小柏峠             94

    上毛菊婦伝              96

上野国甘楽郡中里村菊女事      100

    市川氏 春山大明神の記      103

第四章 江戸時代の小柏氏          106

大阪冬の陣に出陣           106

小柏家の権勢 名刀むかで丸      106 107

    重高 黒滝山不動寺の開基となる   108

潮音 重高に誌偈を贈る       111

   先代旧事本紀大成経         113

    徳氏と吉次兄弟の足跡        117

三波川妹ヶ谷の開拓者 竹野(小柏)  119

    妹ヶ谷の地名由来         119

「村上」とは何処か         120

竹野の妹ヶ谷入植期        126

妹ヶ谷城と小柏氏          130

三波川の柔術指南と血判状     134

  南牧衆市川氏            137

焙烙峠の伝説 御荷鉾山の山元    140

  當重 養命寺の中興開基となる    141

  小暮市右衛門 「大神」となる    142

切支丹宗門改め           143

御荷鉾山(みかぼやま)騒動        145

重基 秩父山で金を掘る        147

 第五章 風梅年代記           149

    好文堂風梅と芭蕉塚        157

上日野の獅子舞          159

 第六章 小柏舘最後の当主 八郎治重明  161

御鉾神社の建立と祭祀        162

    明治政府 地租大増税        164

小柏常次郎と秩父事件        166

    武士の商法敗れる          167

小柏家 落魄の風          170

    小柏氏正系図 作成者        174

 第七章 小柏氏の末裔           175

日野地区・三波川の小柏氏      175 177

甘楽天引の小柏氏         179

     小柏徳氏の天引移住       183

     熊野堂の磨崖仏         190

天引の笠塔婆          191

     天引黒渕古墳群の塚       192

     亀穴峠・鳥屋峠は昔の街道    194

中山道坂本宿の小柏         197

 第八章 小柏舘の発掘調査        198

二回目の文化財発掘調査      200

   あとがき              204

    補 稿

小柏氏の墓所について       206

     墓碑の分析             207

天引の小柏氏の墓所・墓碑      208

     時代の変遷による墓碑の形状     210

小柴氏と川邊氏          212

   平氏伝承 小柏氏と武士団     214

   小柏氏 年表             216

参考文献               223

   小柏氏家系図             225

 

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2007年11月16日 (金)

地神様 憤怒相の牛若丸? 

他所から入ってくる“悪”は許しませぬ。!決意が漲っています。

このお顔・お姿は滅多に見かけるものではありません。

神仏習合により創作された神様でありましょうか?

アタクシが知っている神様の中にはおはしませぬ。

この場所には以前、神社がありましたゆえ、少し場所が移動したかもしれませぬ。

近隣の地主さんが建立したもよう….

帷子川近くの地神様

造立 文化九年

高さ 1.1mほど

隣に湯殿山供養碑がある。

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今も猶 村を護りぬ 道祖神 世は移ろいて 人顧みず

                                                       2007.2.18

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2007年11月 1日 (木)

「平家の凋落」・「小柏氏800年の軌跡」目次

    目 次

 平家の凋落

  平氏の末裔

  清盛の孫たち

  清盛の娘たち

   平家最後の戦い

   平家落人伝説

安徳天皇は生きていた

維盛の「青海波」

惟盛伝説

悲運の六大丸

御前岩の六代丸

小柏氏800年の軌跡

小柏氏の始祖

維基 鹿島神社建立

鎌倉時代の小柏氏

南北朝時代の小柏氏 鼠喰城

 室町~安土桃山時代の小柏氏

平井城の落日

豪族 高山氏

豪傑 小柏 高政

   血糊の宮

西上州の白倉氏

  織田家と宝積寺の確執

菅原神社・妙義神社の鰐口

 生島足島神社の起請文と養命寺

竹花城と小柏城

  豪族 小幡氏

     小幡氏の領地

国峰城落城 落武者信秀

秀吉攻め 小田原籠城

     宝積寺合戦

     幡氏旧領弁録について

幡氏旧領弁録 抄

「仙洞院記」

     小幡図書助の実像

定重長篠の合戦に出陣

  定政小幡孫一を救う

  お菊伝説

 宝積寺のお菊伝説

因果の水鏡菊が池

   二本木峠と小柏峠

    上毛菊婦伝

お菊様の命日

上野国甘楽郡中里村菊女事

    市川氏 春山大明神の記

 江戸時代の小柏氏

大阪冬の陣に出陣

小柏家の権勢

   名刀 むかで丸

    小柏重高と名僧潮音の黒滝山

    重高 黒滝山不動寺の開基となる

潮音 重高に誌偈を贈る

   先代旧事本紀大成経

    小柏吉重と古文書

    徳氏と吉次兄弟の足跡

妹ヶ谷の開拓者 竹野(小柏)

    妹ヶ谷の地名由来

「村上」とは何処か

竹野の妹ヶ谷入植期 

妹ヶ谷城と小柏氏

三波川の柔術指南と血判状

 南牧衆市川氏

焙烙峠の伝説

御荷鉾山の山元

 當重 養命寺の中興開基となる

  小暮市右衛門 「大神」となる

切支丹宗門改め

御荷鉾山(みかぼやま)騒動

重基 秩父山で金を掘る

  風梅年代記

    好文堂風梅と芭蕉塚

上日野の獅子舞

  小柏舘最後の当主

    八郎治 重明

御鉾神社の建立と祭祀

    小柏学校

    明治政府 地租大増税

小柏常次郎と秩父事件

    武士の商法敗れる

小柏家 落魄の風

原 善三郎

  小柏氏正系図 作成者

  小柏氏の末裔

日野地区の小柏氏

三波川の小柏氏

天引の小柏氏

小柏氏と掘口氏

    向陽寺

     小柏徳氏の天引移住

     熊野堂の磨崖仏

天引の笠塔婆

     天引黒渕古墳群の塚

     亀穴峠・鳥屋峠は昔の街道

  その他の小柏氏

中山道坂本宿の小柏

  小柏舘の発掘調査

    埋蔵文化財の調査

二回目の文化財発掘調査

  あとがき

  小柏氏家系図

  小柏氏 年表

参考文献

   補 稿

小柏氏の墓所について

     墓碑の分析

天引の小柏氏の墓所・墓碑

     時代の変遷による墓碑の形状

   平氏と小柏氏・武士団

小柴氏と川邊氏

   平氏伝承 小柏氏と武士団

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2007年10月23日 (火)

三波川 妹ヶ谷城 探索始末記…。

 妹ヶ谷不動尊の境内を左に(南)降りて下から来た道に合流する。この左から来ている道は、不動尊の入口の階段の下を通って回り込んで来ている道だ。この辺は幅も確保されていて歩き易い遊歩道といったカンジ….

 左下に細い沢が見えるこの道は、石神峠に至るハイキングコースだ。暫く行くとどんどん沢が近くなって来る。

 右側は雑木林で険しい傾斜になっている。杣道はおろか登れそうな所は何所にもない。更に遡って行く。左にあった沢と道の高低差がなくなり、ハイキング道は沢を渡って向こう側へと続いている。

 地図を見ると沢を渡っては行き過ぎになる。右の山への登り口を見落として通り過ぎたようだ。一回戻り左側の山へ登れそうな処を探すが、やはりそれらしい所は見あたらない。

 大まかな地図なので、実際には沢を何度か渡るのだろう。またUターンした所へ引き帰し沢を渡る。ギボウシの花などを見ながら、また暫く行くと道は次第に草の生い茂った道となっている。

 歩く道は緩やかな傾斜だが、草に埋もれた道は細い暗い線のように見える。構わず先へ進んで行くと道はまた沢を渡っている。

 妹ヶ谷不動尊の横から妹ヶ谷城へ行けると聞いていたが、相変わらず右の山へ入って行けそうな場所はない。

 そのうち道は草で覆われた状態になり、歩を進めるたびに草を蹴飛ばして行く状況になった。そして右側の山腹へやや寄った道になった頃、左の沢に空の堰堤があった。水は殆どないので砂防ダムか。

 堰の中央付近まで行き、遠くを望むと前方の左側と右側から、Y字の形で沢らしきものが合流して来ている様子が分った。そこでまたハイキングコースに戻って、先へ進む道を見ると草に覆われていて踏跡もない。

 これ以上は軽登山靴でないと厳しい。その上右側への登り口もなく、この先へ進んでも登れる処はなさそうに思え、今来たルートそのものも怪しくなってきた。これは一旦撤退するしかない。

 用意した地図  この他 国土地理院の地形図 ゼンリンの地図

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2007年10月19日 (金)

甘楽町の「ちちぶ道」と道祖神

 甘楽町は古い歴史を持つ町….。古くは加羅からの移住者も多かったとか….

「和名類聚抄」にも上野国「かむら」として現れる。「延喜式」には「新屋ノ牧」が記されている。

戦国時代から近世にかけては、小幡氏や織田氏・松平氏が跋扈した城下町

 小幡藩の堰・石垣とせせらぎ・桜並木が過ぎし日の….往時を偲ばせる。古城も数多く残されている他に古墳もある。

天引の「堂の入川」の左岸の畑の中にある黒渕古墳がそれである。盛土は風雨のためか、盗掘のためか既に失われていて、石室が露出している。

 石室の全長は4.95m、玄室は長さ2.1m高さ1.75mであり、羨道は長さ2.85m高さ1m幅0.8mである。

 古墳群の一基で7世紀後半の円墳と推定されている。

 妙義町は富岡市となったが、独自の道を貫いた甘楽町…..

 ちちぶ道の道祖神様

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      熊野堂

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 山上の秘境の湖のような趣を漂わせる池….人知れず青い水を湛えている。

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 黒渕古墳

   古墳のお部屋H・Pより

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2007年10月 6日 (土)

安徳天皇は生きていた/三種の神器

安徳天皇は生きていた

安徳天皇は壇ノ浦で二位の尼に抱かれて、入水して果てたとされている。二位の尼は平清盛の正妻・時子である。従二位の位にあり清盛の死後は尼になっていた為、二位の尼と呼ばれた。

宇佐神宮の宮司家・宇佐家の伝承によれば、同家は神武天皇が東遷の際に立ち寄った時に、足一騰宮を建立し当主の妻を差し出し供応したという。そして神武の兵士たちには土地を与えて屯田制として生活させた。

この神武部隊の滞在期間は4年に及んだという。

都落ちして大宰府にくだっていた安徳天皇が、源氏方に加担していた緒方惟栄の圧迫を受け宇佐神宮宮司・公通の館に逃げ込み一時ここを皇居と定めた。この時に公通は、宇佐神宮にて斎戒沐浴・断食して七日七夜祈ったところ神託を得た。

それは嫡男・公仲を安徳天皇の身代わりとして、天皇を守護し奉れというものだった。公仲の母は清盛の娘・浄子であり建令門院の妹であるから、天皇と公仲は従兄妹の関係であり年齢も同じ8歳であった。

かくして天皇は宇佐に残り、身代わりの公仲が安徳天皇として讃岐の屋島に移った。この後、平家は山陽道を制圧し勢いを盛り返したが、義経が下向して参戦した事により、たちまち劣勢になり壇ノ浦で亡ぶ事になる。こうして宇佐公仲は、天皇の身代わりとして二位の尼と共に壇ノ浦の藻屑となった。

安徳は30年ほど遁世し、公通の先妻の子公房の庇後を受けていたが、やがて宮司職を譲られた。

1214年に大宮司に補任され従五位下に列せられ、男子三人をなしたが宮司は長男に譲り出家した。実母である建礼門院や、平家一門の菩提を弔って晩年を過ごしたという。

この後、宇佐神宮の宮司職は安徳天皇の子孫が勤めた。真実かどうかはともかく、可能性として充分にあり得る事ではある。恐らくは事実なのであろう。宇佐公仲となった安徳は、宇佐家の系図上では公通の孫となっている。

三種の神器

三種の神器は、安徳天皇と共に都落ちに随判されていたが、二位の尼が携行して壇ノ浦に沈んだ。剣は見つからなかったが、鏡と勾玉は見つかって、義経が京都へ持ち帰り後白河法皇に返したとされている。

池や湖ならともかく、潮流のある海に沈んだ物が当時の技術で見つかるとは信じ難いものがある。それとも、鏡は二位の尼が小脇に挟んで入水したといわれているので、潮に流されて沈むのに時間がかかったのか。

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2007年9月16日 (日)

三波川の共同墓地と不動尊

  三波川妹ヶ谷の墓地はかなりの広さである。想像していたものよりもずっと広い。細い道に面しているところには庚申等や石仏・神様の石碑などが並んでいる。平坦で日当りの良い土地であり、その南側は里山に連なっている。

 畑や宅地に利用できる良い立地といえる。墓碑は古い物が沢山あり、歴史の宝庫のように思える。何時の日か学術調査が入る事が期待される。

 この中の小柏氏の墓地には、小幡家の女中の物と伝えられる墓碑があると聞いている。撮影しながら墓碑を端から丹念に見ていくが、その数は多くて際限がないために諦めて全体像の把握にとどめた。

 古い墓碑に刻まれた文字の多くは、判読不能の上に倒れている物、草や土に埋もれているものが多い事も理由の一つ….

 墓碑の形や大きさも様々で、その風化の状況もまたさまざまである。その佇む姿は歴史の証人・時代の移り変わりの展示館のようにも見えてくる。

 帰りかけた時だった。東側・左隣にあるストーンサークルのような、墓地のようなものが目に留まり気になって車を降りた。

 林の中に位置する楕円形の墓地がそこにあった。墓碑の多くは半ば土に埋もれて、今は顧みられていないようなその墓地には、何故か気になるものがあった。

 三波川の平滑?不動尊もきれいにお守りされている。その右側には小さなせせらぎが静かに流れている。

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2007年9月15日 (土)

時代の変遷による墓碑の形状

 

  五輪塔

 石造りの五輪塔は平安時代から造られるようになり、広く親しまれている。時代によって塔の高さが変わったり、やや形状が変わってきている。その五層の塔は上から「空」「風」「火」・「水」・「地」を顕わすとされる。

この五要素は人体を顕わす事にも繫がるという。

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無縫塔

      卵形をしているので俗に卵塔と呼ばれる。野球のバットを縦方向に縮小したような形である。鎌倉時代に中国から禅僧によって伝えられ、僧侶の墓碑として広く用いられた。

 多くは卵塔の下に蓮座を敷いている。江戸時代には大名も好んで用いるようになった。

  上日野小柏氏 1795  

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天引小柏氏 1791・1804

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  角石燈篭型

 上日野小柏重高墓碑 1688

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        天引小柏氏 1781

   

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角石型墓石

 江戸時代になり、現在の墓石に近い位牌形の物が多く作られるようになった。方形の板碑で、武士はこの上部に笠を置いた物を好んだ。一般では屋根付がよく用いられた。

  上日野小柏氏 1757 

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 天引小柏氏 1780

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                                   合掌

 ここでは代表的な物を挙げたが、両者の年代は近接していて形状も似ている。

                                        

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2007年9月14日 (金)

天引の小柏氏の墓所・墓碑

 

 墓碑は畑の西端で竹林の麓に横一列に並んでいる。この後ろの潅木の中にも二つ以上の墓碑があるが、細い潅木がびっしりと茂っていて足を踏み入れる事は出来ない。この一列に並んだ墓碑群と数メートルしか離れていない畑の仲にもう一つの墓地がある。

 この墓地には古い墓碑が四列に並んでいる。この最後列が最も古い墓碑なのか倒れている碑、割れて倒れている碑があるなどで一番荒れている。この中に長山清閑信士と理山玄性信士の墓碑がある。

両墓碑は共に屋根付位牌形であり、笠塔婆のようにも見える。この最後列の墓碑の前に「角型前置灯篭」が三基ほど置かれている。この灯篭は一見すると墓碑のようにも見えるが、碑文が刻されていないようなので供養塔・庚申塔として置かれたもののようである。

 灯篭と後ろの墓碑列の間隔が狭いのもこの事を窺わせる。灯篭の列とその前の墓碑列(後ろから二列目と三列目の間)との間隔は広く取ってある。

Photo

 天引の小柏氏 墓碑

                      (太字は確定)

卒年齢

卒 年

名 前

墓所

墓碑形

(推定)

82 享保7

1723

小太郎父 頓證了覚大徳   

61 延亨3

1746

傳六 母 安窓貞心

87 寛延2

1749

前山覺庭信士        

1751

青銭童子  

1759

不秀童子

1764

慧淳童子

1767

智陽童子    

57 明和4

1767

傳六 妻  梅黄雨林       

95 安永7

1778

長山清閑信士 太良兵衛の父

後列 横の墓

屋根付

76 安永9

1780

理山玄性信士 太良兵衛

後列 横の墓

屋根付

76 天明

1781

徳翁忍光 八三良 父

向陽寺

灯篭

1781

涼薫童子

22

1781

貞倫智永

64 寛政3

1791

勘右衛門父権大僧都月潤浄心信士

向陽寺 

卵塔

61   8

1796

定室了禅 善治朗 母

後列 横の墓 

方形

72   8

1796

勘右衛門祖母丹丘妙仙 判読不能   

   天引?  

方形

57 文化1

1804

勇蔵養父 権大僧都喜山秀悦信士

後列 横の墓 

卵塔

61 文化2

1805

勘右衛門 母 月舩妙皎

天引

61 文政1

1818

勇蔵養母 清蓮知浄

22 文政5

1822

定吉 收林常然

天引

方形

61 天保1

1830

勘右衛門 妻  寒相貞温

天引

64 天保2

1831

勘右衛門 実参徹温

向陽寺 

卵塔

36 弘化3

1846

寅吉 妻 安室休穏

天引合葬

五輪塔

60 嘉永

1850

林次郎 陛岳良忠  (寅吉倅)

天引

方形

61 安政4

1857

覚室明圓  萬吉 母 (70代)

75 明治12

1880

寅吉 徳聲常圓 定吉祖父

天引?  

五輪塔

77      33

1891

定吉 養母むら 夏雲清涼

天引合葬

五輪塔

9

1905

常吉 徳翁常圓

天引

方形

計    大人 23人 童子 5人 (高祖父以前)

墓碑数

判明

不明(除童子)

 備考

天引

 13

  7

  6

後の潅木の中

2~□

  2~□

横の墓地

  6

  4

  2

最後列(除前列)

向陽寺

  3

  3

向陽寺 石仏

  2

  1

一体は庚申塔?

 26~□

 14

 11

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